はるか千年続く、熊野詣の願いが聞こえる
全国の「熊野神社」の総本宮にあたる熊野三山。
三山の中でもとりわけ古式ゆかしい雰囲気を漂わせるのが、聖地熊野本宮大社です。
熊野参詣道のなかでも、多くの人々がたどった「中辺路」を歩くと、難行苦行の道のりを終え最初にたどり着くのが熊野本宮大社です。最初に熊野本宮大社を望む「伏拝王子」の名は、やっとたどり着いた熊野大社を伏し拝んだ、との由来からと伝えられています。
この熊野本宮大社は、平成7年には社殿が国の重要文化財に指定されました。
本殿へと続く158段の石段の両脇には幟がなびき、生い茂る杉木立が悠久の歴史を感じさせます。
神門をくぐると檜皮葺の立派な社殿が姿をあらわします。
向かって左手の社殿が夫須美大神(ふすみのおおかみ)・速玉大神(はやたまのおおかみ)の両神。中央は主神の家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)。そして右手は天照大神(あまてらすおおみかみ)が祀られており、交通安全、大漁満足、家庭円満、夫婦和合、長寿の神として人々を迎え入れてきました。
かつては、熊野川・音無川・岩田川の合流点にある「大斎原(おおゆのはら)」と呼ばれる中洲にありましたが、明治22年の洪水で多くが流出し、流出を免れた上四社3棟を明治24年(1891)に現在地に移築・遷座しました。
熊野三山信仰について
熊野三山
熊野は古くから人々の熱い信仰に支えられた聖地であり、『伊勢へ七度、熊野へ三度』とさえ言われている。
本宮の地に神が祀られたのは、今からおよそ2000年前、第10代崇神天皇の世といわれているから、ずいぶん昔のことである。
熊野詣が盛んであったのが、平安時代の中期から鎌倉時代にかけてであると伝えられている。延喜7(907)年、宇多法皇以来、法皇上皇の御幸も盛んで白河上皇の9度、鳥羽上皇の21度、後白河上皇の34度、後鳥羽上皇の28度と多くを数えたが、弘安4(1281)年、3月、亀山上皇の御幸をもって終結をつげている。
江戸時代に入って、元和5(1619)年、紀州藩主徳川頼宜が熊野三山の復興に力を入れ、再び「蟻の熊野詣」の最盛期を迎えることができたとある。言うまでもなく、身分や階級を問わない多くの人々が熊野にあこがれ、救いを求め、甦りを願って異郷とも思える山深いこの地を目指したのです。
文:湯の峰温泉 民宿小栗屋 元主人 安井理夫
※ 熊野本宮大社でのイベント情報についてはこちらをご参照ください。